み・けの『なんがでっきょんな!』

アクセスカウンタ

zoom RSS アイルトン・セナ最後のレースを振り返る。

<<   作成日時 : 2005/04/06 12:03   >>

驚いた ブログ気持玉 1 / トラックバック 4 / コメント 2

画像
 F1界の貴公子・・・アイルトン・セナが亡くなって早11年がたちました。思い起こせば11年前、’94年のサンマリノGPでの事故でした。

 その年、セナはウィリアムズに移籍。前年に移籍を希望してましたが、プロストに先を越されましたので念願のウィリアムズ入りでした。

 しかし・・・初戦ブラジルGP、次戦パシフィックGP(岡山県英田サーキット)と立て続けにリタイヤ。アクティブサスペンションが禁止になった影響で戦闘力が低下しました。というか、ある1台のマシンに対抗することができませんでした。その車は・・・ベネトン(現ルノー)。ドライバーはM・シューマッハ!実質フル参戦3年目の若手の2連勝でした。

 そして迎えた第3戦、サンマリノ。イモラサーキット。かろうじてPPゲット!しかし過去2戦と同じく本番のレースに対して盤石というにはほど遠い状態。セナの腕だけでPPを獲得したような感じでした。
しかし・・・その予選においてシムテックから参戦していたR・ラッツェンバーガーがトサコーナーの入り口でクラッシュ!亡くなってしまいました・・・。

 F1のレースでの死亡事故は確か10年以上なかったはず。実はその前の日のフリー走行中では同じブラジル人のR・バリチェロが最終コーナーで車が宙にまったままフェンスに激突。そのショックも癒されないうちの死亡事故でした。

 セナは非常にナーバスになってました。それはレース当日にPPのグリッドについてからコクピットに座ったセナの表情に表れてました。今までにないような悲しい表情・・・。とても今からレースに臨もうとする顔ではありませんでした。しかしレースはスタートします。

 スタート直後にいきなりJ・J・レートのベネトンがエンジンストールして、そこにロータスのP・ラミーがつっこんでしまいました。破片が観客席にまで飛んでいき負傷者を出した上にコース上にはラジエーターオイルがいっぱい漏れてました。「これは赤旗中断だな」と思っていたらセーフティーカー導入。セーフティーカーはその年から始まったものです。

 そのまま数周走りレース再開。トップはセナ。2番手にはシューマッハ。セナはシューマッハに追い立てられる。そして運命の6週目・・・。コントロールラインを通過し、加速しながらタンブレロコーナーへ。本来なら緩やかな左カーブなのにセナのマシンはそのまま直進。そして壁に激突!

 一瞬ピクリと動いたかのように見えましたが後は微動だにしない。その場で緊急応急処置をしてヘリコプターで病院へ運ばれて行きました。そして・・・レース終了後・・・死亡が発表されました。

 セナの事故後もレースは続行。そしたら今度はピットインしていたマシン(車名失念m(_ _)m)がピットアウトしようとした時にタイヤがはずれて、そのタイヤがクルーに直撃!そのクルーも亡くなってしまいました。

 なんという呪われたレースだったんでしょうか・・・。結局シューマッハが3連勝を飾りました。それと、目立ってませんでしたが片山右京が5位入賞を果たしました。

 セナのタンブレロコーナー。そこは確かフェラーリ時代のG・ベルがーもセナと同じように直進して激突した場所です。その時は激突直後にマシンから火の手が上がりしばらくベルがーも火に包まれたままでした。しかしマーシャルの迅速な対処のおかげで大事にはいたりませんでした。まさかその数年後に同じ場所でセナが亡くなるとは・・・。

 ちなみにその次のレース、モナコGPではK・ベンドリンガーがヌーベルシケインで大クラッシュをしてそのままF1に戻ってくる事はありませんでした。そんなこんなの事故が多発してからやっとレギュレーションの変更です。

 まずピットレーンの速度制限(80K)を設け、マシンに関してはダウンフォースを減らすためにフロントウィングの翼単板の取り外し、それにフラットボトムをやめてマシンの底に板を貼ったりしました。更にコース上にタイヤを置いて無理矢理にシケインを作ったりもしましたっけ・・・。

 その年はシューマッハの独走でしたがイギリスGPでPPを取ったD・ヒルをフォーメーションラップで追い越したことからケチがついて、その後もなんだかんだで出場停止・ポイント剥奪となり、最終戦オーストラリアで後ろから追いかけてきたヒルに体当たりしてシューマッハがチャンピオンになりました。

 あれから11年・・・未だにセナ人気は衰えずです。あれからは死亡事故は出ておりません。昨年のアメリカGPでのR・シューマッハの大クラッシュも安全設計のボディのおかげで大事には至りませんでした。

 長くなりましたので最後に・・・サンマリノGPにおいてですが、前の年までお互いにライバルとして認め合い、その結果、口も聞かなくなっていたプロストが引退後初めてイモラに現れコメンテーターをしておりました。そのプロストが走行中のセナと会話をしました。その時セナが「君がいなくなって寂しくなったよ」(もちろん英語で・・・)みたいな事を言ったのが印象的でした。

 記憶だけで書き綴っていきましたので若干事実と違う部分もあるかもしれませんが・・・ご容赦くださいませ・・・(*^_^*)。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
驚いた

トラックバック(4件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
Ayrton Senna da Silva 生誕45周年記念日
今日は気がついてみれば(てか、某サイトの記事を見て気がついたんですがw)Ayrton Senna da Silvaそうあの音速の貴公子セナの誕生日でした。 そうです。セナも私と同じ3月生まれなんですねぇ(^^)V (ちなみに私はジム・クラークと同じ誕生日です♪) しかし、セナも生きていれば45歳になっていた訳ですねぇ・・・ あのサンマリノGPで事故死したのが1994年ですから、早いものでもう没後11年になるんですね。 ...続きを見る
にこらすの徒然なるままに・・・
2005/04/06 15:23
F1と総帥―セナとシューマッハとバリチェロと
気が付けば見ていた。 でも、おもしろいと思えるようになるまでには相当時間がかかった。 MAX350km/h以上の速度の中で、コーナーでは息を止めてまわる。高速コーナー時などには3.5Gを耐えるという。(参考) F1はそんな過酷なレースである。 ...続きを見る
まりごん総帥の「これぞ総帥道!!」
2005/05/07 05:22
1989年鈴鹿 セナの予選車載画像
在りし日のセナの車載画像です。1989年の鈴鹿の予選画像です。1989年といえば、F1もまだセミオートマが普及していない頃ですので、セナの右手が、シフトチェンジのたびにシフトノブにいっているのがよく分かりますね。しかし、この頃のF1は、良くはねているというかなんというか。車載カメラのマウントの仕方が悪いのか、今のF1とは車載画像のブレ方が大きいようなきがします。あと、かつての130Rやシケインも見ることができたりします。ちなみに手元の時計計測では、ラップタイムは1分39秒くら ...続きを見る
モータースポーツのニュースナビ
2007/03/04 01:20
アイルトン・セナ―真実と軌跡
『アイルトン・セナ―真実と軌跡』 初出は’90年。原著は’90年に出版されたもの。’91年に邦訳が出てます。今回の文庫化にあたって「大幅に加筆」とあり、わたしは’91年版のほうも読んだ記憶ありますが、正直そんなに「大... ...続きを見る
カーレースの魅力【カーレースファンサイト...
2007/03/22 03:44

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ちなみに、カール・ベンドリンガーは、16戦日本グランプリでF1復帰を果たしましたが、その翌年95年シーズンからシートを失いました。
通りすがり
2010/02/11 15:39
おぉ!確かに!復活したような記憶がよみがえってきましたわ!ベンドリンガーとフレンツェンとシューマッハーは「メルセデスの申し子3人集」なんて言われてましたねぇ。懐かしいです。
み・け
2010/04/28 08:07

コメントする help

ニックネーム
本 文
アイルトン・セナ最後のレースを振り返る。 み・けの『なんがでっきょんな!』/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる